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久保田一竹美術館は河口湖。辻が花の着物は壮絶な美!【ニッポンの出番】

<ミシュラン観光ガイドで3つ星を獲得した「久保田一竹美術館」が5月24日の所さんのニッポンの出番に登場!幻の着物「一竹辻が花」を蘇らせた遅咲きの芸術家の半生とは?

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目次

幻の着物辻が花を蘇らせた久保田一竹

辻が花染めとは?

室町時代中期から江戸時代初期までの間に制作された絞り染めの小袖の事を言います。

着物の生地を糸で絞って色がつかないようにして、模様を染め抜く技法を絞りと言いますが、辻が花もその一つと考えられています。(絞り染めでなく織物だと考える人もいます)

最初、麻の布に単色で染めるというようなシンプルな着物でしたが、次第に複雑、豪華になっていき、全盛期には金箔や刺繍も加えられたと言われています。

戦国武将たちにも好まれ、織田信長、豊臣秀吉や徳川家康やその奥方も着用していたと言われています。

しかし、徳川家康の時代が終わるとともに衰退し、その技法が現代に受け継がれることはありませんでした。

久保田一竹の半生と蘇った辻が花

久保田一竹は、東京神田に生まれ、人物画、日本画などを学ぶ青年でした。

20歳のころ、東京国立博物館で初めて古い辻が花の小裂をみて、その美しさに心を射抜かれたそうです。

その後、戦争が始まり、兵員として応召され、終戦後もシベリアに抑留されるという不遇の時代を過ごします。

31の時にようやく復員。

彼は戦争で失った青春を取り戻すかのように辻が花の研究に着手します。

そしてそれから30年がすぎ、60歳を超えたところで幻の着物「辻が花」をつくり上げるのです。

「一竹辻が花」と名付けられたその技巧は、単なる辻が花の再現にとどまらず、独自の領域に昇華していきます。



彼の他に類を見ない着物は、単なる衣装の域をこえ、芸術として認められることとなります。

そして日本国内にとどまらず欧米でも脚光を浴び続け、アメリカ、スミソニアン博物館などでも展示されました。

一竹いわく、「命を削り血で染め上げた辻が花」と言っています。

彼が辻が花を再現するまでの苦労は失敗に失敗を重ね、寸暇を惜しんだため仕事まで手放し赤貧し、それでも続けてようやく完成しました。

「一竹辻が花」は彼の生命そのものと言えます。

久保田一竹美術館について

久保田一竹美術館は、一竹が愛した富士山の麓、河口湖にあります。

知人から美術館の場所としてこの場所を紹介された一竹は、この場所の美しさに息を呑んだといいます。

所在地

〒401-0304
山梨県南都留郡富士河口湖町河口2255

 

電話

0555-76-8811

 

開館時間

12月~3月…10:00-16:30(入館16:00迄)
4月~11月…9:30-17:30(入館17:00迄)

 

入館料

一般
1,300円(1,100円)
大学・高校生
900円(700円)
中学・小学生
400円(200円)
※( )内は15名様以上の団体同時ご入館の料金

 

休館日

毎週火曜日/12月26・27・28日/その他特に定める日
(祭日の火曜日、及び1月の第1火曜日は開館)
※ 10月・11月は無休

まとめ

生涯を辻が花にかけた久保田一竹さんの美術館は、富士五湖のひとつ、河口湖のほとりにあります。

一竹さんは、作品の多くに富士山の図案の物を残しており、ここを自身の美術館に選んだのには、一方ならぬ思いがあったように思います。

ただでさえ美しい一竹辻が花を、その作品然と下雄大な自然の中で鑑賞できる幸せは、スミソニアン博物館でも味わうことが出来ないでしょう。

このエリアは冬は雪がつもり、スタッドレスタイヤなども必要になる場合もあるので、ぜひ気候のいい季節に行っておきたいなと思いました。

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この記事を書いた人

話相手がいないうなぎ山が、日々気になることをあれこれつぶやきます。

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